ストライキ論、あるいは反ストライキ論(2004年12月)
争議心得
君もまた覚えておけ、藁(わら)のようにではなく、震えながら死んでいくのだ
一月はこんなにも寒いが、唯一の無関心で通過を企てる者を俺が許しておくものか
本文へジャンプ
映像:ミキス・テオドラキス(ギリシャの反ファシズムの闘士であり民衆から敬愛される音楽芸術家)のある集会での激烈な演奏と熱狂的な聴衆。感動!YouTubeからDownload




はじめに

君もまた覚えておけ、藁(わら)のようにではなく、震えながら死んでいくのだ
一月はこんなにも寒いが、唯一の無関心で通過を企てる者を俺が許しておくものか
 
 
 
 
 

ここに、「落書東大闘争史」(三省堂新書、一九六九年五月発行)という本がある。
もう、四〇数年前の戦いではあるが、東京大学安田講堂のバリケード封鎖を「解除」するために、国家権力・警察機動隊は圧倒的な人員・戦闘用武器(装甲車・催涙ガスを充填したガス銃・金属棒盾・高圧放水銃等々)を投入し、安田講堂に立て籠もる僕らの同輩の学生達に暴虐の限りを尽くし、弾圧した。
東大安田講堂は焼けただれ廃墟と化し、ガス銃の水平撃ち(学生達の顔や胴体を狙い撃ちした銃撃)等々、軍隊の殺傷攻撃同様の暴力を受けた学生達は、夥しい重軽傷者を出し、ほぼ全員が一年有余、獄に監禁された。

「君もまた覚えておけ、藁のようにではなく、震えながら…」という「落書」は、廃墟と化した安田講堂の中に残されていたペンキで描かれた「落書」の一つである。
恐らくは、機動隊の視神経を麻痺させる液を混入した大量の放水、ガス銃の乱射の中で、一月の厳冬、全身水浸しになりながら、暴虐を耐え、抵抗し、絶望と恐怖のただ中で戦っていた、一人の無名な学生がしたためたものであろう。
君もまた覚えておけ、藁のようにではなく、震えながら…、という言葉に続いて、この落書きはとてつもない明瞭さで言い切っているー、
震えながら「死ぬのだ」と。藁のようにではなく、震えながら死ぬのだ、と断定している。

収穫を終えた稲は、藁となり田畑に堆く積まれ藁苞となり、秋・冬・春の風雨に晒され、腐蝕し発酵し、有機ガスを発生する有機飼料となり、それはまた、翌年の稲作の豊穣をもたらすのだけれども、そのような有意味な「藁のような死」ではなく、何の意味もなく、圧倒的な国家権力機動隊の暴虐の嵐のただ中で、阿鼻叫喚、カカレ、ヤレ、ツブセ、オサエロー、催涙液を混入した水が洪水のように降り落ちる暗渠のなかで、恐怖と厳寒の冬の凍水を全身に浴び、「震えながら死んでいくのだ」。生き続けていく「意味」をも見いだせず、ただただ
震えながら死んでいくのだ…と。

「君もまた覚えておけ」と断定されている「君」のなかには、私自身も含まれている。
否定しようにも否定しきれない棘が、枯れて抜け殻となった私の老体を辛うじて支えている、これまた枯れた精神に突き刺さる。

この文章は、2004年年末、グリーンコープちくご(生協の倒産危機と労働組合のストライキ)で惹起した事態に関して、論評したものである。
文中に登場する人物名は極力当て字を当てたが、その人物の主体性(=自己責任・他者への責任)を尊重すべきと考えた者は、敢えて実名を挙げた。
その人間が「組織」「運動体」等々のなかに、逃避し埋没していくのを許さない為である。その人間の「言葉」「表現」を、その人間の「行為」「行動」と乖離・背離させない為である。
この文の中で実名を挙げられ、腹立たしく感じた者は、まさに彼(彼女)自身の言葉と行為が内部分裂している者であろう。
「組織」「運動体」の名を纏って臨んでくる者は、すでに全体主義(ファッショ)に汚濁されている者である。
「組織」の機関決定とか方針とか規約とか規則とか「現実」とか、を振りかざして、自身を集団の中に埋没させて語る、非主体的な集団主義者には、竹中労の次の言葉を聞かせてやろう。
 
「人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ。私は、集団という人格でないものの保護よりも、個別人間の友情を信ずる。そして友情にもまして利害で結ばれた(金銭的利害という意味だけではない)出会いの仁義を、共働する仲間を信頼する。」(竹中労)


 
私は、「組織(労働組合)」や「運動(生活協同組合)」を標榜する者達から、「疎外」され「排除」され、孤立無援の単独者として10数年処遇されてきた。
 
誹謗中傷と嘲笑のなかで、生協を退職し、屹度虚しさの中で死んでいくことであろう。
がしかし、私はこの世の最後の時まで、「戦わない者」が、「戦う者」「一途に生きる者」を嘲笑うような、下劣卑劣漢には決してならないであろう。

外面似菩薩内心如夜叉(げめんじぼさつ・ねしんにょやしゃ)ー、
外面は「菩薩」に似ているが、内心(魂)は夜叉(鬼)の如き者達が跋扈する世界で、夜叉が如き風体を曝しはしても、魂には菩薩を抱き続けていきたいーと願っている。
 

ストライキ、あるいは反ストライキ論

人類の一部が半分正常な時がある。人類のすべてが少し正常な時がある。
人類の半数が少しばかり正常であり得ても、人類のすべてが常に正常である筈がない。
ーボブ・ディラン
 
よしんば、「福岡県南部生協労働組合」及び、それを支援する「福岡県生協労組協議会」グループが、一〇〇パーセントの「悪」であり、「グリーンコープ生協ちくご労組」及び、それを支援表明する、「生協連合グリーンコープ労働者連帯労働組合」「グリーンコープ労組・労働者連帯協議会」の二連合組織体、「グリーンコープ生協福岡労組」以下七単組が、一〇〇パーセントの「善」であったとしても、後者九団体が公表する最新の情宣紙・情報は全体主義的・「生協ファッショ」的偏向に陥り、極めて危険な論調が支配的になりつつある。

世界は、一〇〇パーセントの「悪」と一〇〇パーセントの「善」とによって成立しているのではないだろう。
勧善懲悪の世界ではなく、善悪混濁した世界(労働者個々人の人格・人間性に於いても)である。
大勢の「善良な」パリサイ人がみすぼらしいなりをした、ひとりの売春婦に「穢わらしいバイタめ、とっとと立ち去れ」と罵りながら、石礫を投げつけていたのを視て、イエス・キリストが「汝ら、わが胸の内を見つめよ、汚れなき者のみ石をもて、汝自身を打て」と言い、パリサイ人はその場からすべて立ち去った、という寓話はこのことを啓示している。
多数派の主張が一〇〇パーセント正しく、少数派の主張が九九パーセント誤りであったとしても、その残された一パーセントの少数派の主張に、耳を傾けるというのが民主主義なのであろう。

遠く、グリーンコープひろしま(広島県)かごしま・おおいた・くまもと(鹿児島県・大分県・熊本県)の他県労組から、県内の五グリーンコープ単組が連名して、福岡県南部生協労組執行委員長・高山文昭に、「ストライキ解除」の申し入れアピールビラを読んだ時、私は県南労組執行委員長・高山君の主張が一〇〇パーセント間違っていたとしても、彼が中国・九州地方の生協労働者の包囲網の中にあって、ひょっとしたら、真実の叫びを挙げているのかも知れない、我々・生協労働者がこの間ないがしろにしてきた、黙りこくってきた真実の声を挙げているのかも知れない、と感じ入った。

日本の戦後民主主義などとうに潰れているのだから、せめて、我々・生協労働者の中だけには、労働組合民主主義を守り、活かしていきたいものだ、と思った。
 
翻って思い出せば、学生運動に入った二十歳の頃から、解雇争議を戦った青年中年期に及ぶまで、親兄弟親族郎党から始まり、世間の良識ある人々、旧たがわ生協理事会、犬のお巡りさん達、お白砂の裁判官、生協の組合員の皆さん、ヤクザな男連中、「ひとりの労働者の首切りも排除も許さない」と標榜する労働組合から、私はさんざん集中的に非難され誹謗中傷され排除されてきた。

何あろう今、集中砲火を浴びている県南労組の高山文昭君も私の襟首を締め上げ、福岡県生協労組協議会委員長・秋竹登君、県南労組城清宝君(当時の県南生協労組委員長)ともども、1978年4月結成以来のたがわ生協労組執行委員長であった私を、「お前を福岡県内から閉め出す」と罵り、たがわ生協労組から閉め出し、私からたがわ生協労組を奪い去った連中のひとりではあるが、ついつい習い性になったのであろうか、ひょっとしたら、高山君等は真実の声を挙げているのではないだろうか、と思うのである。
 
少数意見の中に、事実を見いだしていく、それがファッショ=全体主義と袂を分かつ、「民主主義」の原点なのであろう。
残念ながら、高山君を論難するグリーンコープ労組のビラの中に、私は民主主義のほとばしりを感じることができない、どこか一つの単組でもいい、全体の主張になびかない単組があっても良さそうなものであるが、それが全くない。
 
グリーンコープ生協ひろしま労組
グリーンコープ生協福岡北九州労組
グリーンコープふくおか生協労組
グリーンコープ生協ちくご労組
生協おおいた労組
グリーンコープくまもと労組
グリーンコープかごしま労組
生協連合グリーンコープ労働者連帯労組
グリーンコープ労組・労働者連帯協議会
 
私は今、グリーンコープ生協ふくおか筑豊支部筑豊東デポの職場で、グリーンコープ福岡北九州労組にも、他のどの労働組合にも帰属しない、未組織の労働者として非常に不安定な境遇にある。
しかし、私はこのビラを出したグリーンコープで勤めている労働者だと思われると、恥ずかしくて街を歩けない。
 
私がこの文書を公表すれば、職場のグリーンコープ生協労組から嫌われ、いよいよもってないがしろにされ、窓際、いや窓の外に放り出されるやもしれない。
かって、共に争議を戦った高山君を始めとする労働者は、私をたがわ生協労組から閉め出したのだから、私を救援に来ることは絶対にあり得ない。
とすると、窓の外に放り出された私は、かってのように唾を吐きかけられ、行き倒れの病人のようになってお陀仏・成仏しなければならない。
まぁ、それもよかろう、苦しみのみ多かったこの世の浮き世三昧を肴にして、きゃあきゃあ騒ぎまくろうと思う。
あの世で極楽トンボを決め込むために、精々、この世では一杯苦しみ抜き、真実を探求していきたいと思う。
 
生協の経営が行き詰まって、解散・倒産の危機に陥ったとする。
生協の理事会は、組合員で構成されているから、もし倒産・解散の危機になったら、生協を潰さないで欲しいと願う、一方、理事会のメンバーは家に帰れば、夫も子もいるふつうの主婦である。独身理事もいてもいいが。
倒産ともなれば、生協の負債を彼女らが背負わざるを得ない。たまったものではない。
子供達に安全で良質な食品を食べさせてやりたいと思って、生協に入り、理事になって一所懸命に活動してきただけなのに、債務を背負う羽目になって。理事の焦燥感の矛先は、全く当然にも、生協で働く職員・労働者へと向かう。
生協が潰れないように、あなた達、懸命に拡大に走り、昼夜を厭わず働いてね、と。
 
かくて、経営の危機が、訪れれば、そこで働く労働者は二重の責め苦を負うことになる。
生協を潰さないで、という組合員の悲鳴。常勤理事からの労働強化の業務命令。
三者三様の努力の甲斐空しく、組合員の生協離れは止まらず、拡大もままならぬ事態になって、いよいよ身売りか倒産かの事態に立ち入る。
理事会や常勤理事は、倒産は避けたいので、身売りを考える。
そこに、いいですよ、引き取りましょう、私たちは思いを分け合った仲ですもの、と引き受け手が現れる。
理事会や常勤理事は、勇気百倍、快活すぎるほど快活になって、生協の連帯・合流がなったと喜び回る。潰れようとした、私たちの生協がとにもかくにも生きながらえたのだから。
しかし、問題は、陰鬱で不安な顔をした職員・労働者が何人か、職場で働いていることだ。
彼等は、生協に組合員や理事として入ってきたのではなく、労働賃金を得る為に入職した労働者だから、理事会メンバーや常勤理事と同じような感覚で、自分と生協とを一体化できない。
アルバイトやパートタイマー・ワーカーズとは違って、彼等は仕事が嫌になったから、明日、退職します。旦那に食わせてもらって、いい仕事が見つかったら、その仕事につきますから、色々ありがとうございました、皆さん、さようならーとは、軽々しく口に出せない。
仕事を辞めれば、途端に明日からの自分や家族の糊口がしのげないのだ。
 
それに、新しい引き受けては、どうやら、人件費コストの削減を求めているらしい。
理事会や主婦理事・組合員の多数・常勤理事は、生協が残るのであれば、コストの削減に諸手を挙げて賛成している。
不安で一杯なのは、とにもかくにもその生協で勤務してきた労働者達である。
一所懸命に働いてきた者も、それこそチャランパランに働いてきた者も、コストの削減、すなわち人件費の削減・労働強化であるから、明日から、どうやって働いていこうかと考え込む。
現金な労働者は、また、生協に幻滅した労働者は、新しい仕事をみつけて生協を退職していく。
残った労働者は、大きく二つのグループへと分かれてしまう。
理事会や常勤理事と一緒になって、新たな引き受け手の援助を受けて、コスト削減・労働強化をも厭わず、働くという企業(生協)防衛グループ。
そのグループの労働者にとっては、団体交渉は一種の通過儀礼なのだから粛々として始まり、そして、終わる。
そして他方、自分達が獲得してきた労働条件に固執し、コスト削減・労働強化に反対していくグループ。
彼等にとって、団体交渉は唯一理事会と対等の立場に立って交渉しうる場なのだから、彼等は自分達の生存と労働組合の存続を賭けて、必死の思いで行う。
自分達の要求が満たされなかったら、全く当然にも、ストライキ権を確立し、あらゆる場で情宣活動を展開する。
 
これが今、現実に福岡県南部・久留米の地で惹起している事態である。
労働者の中に、ふたつのグループが発生し、対立しあうという構造。
これは、生協に限らず、どんな企業でも通常起こっている事態である。
何ら異常なことではない。
どだい、労働者がみんな同じような考え方を持ち、企業者・理事者とも意を通じ合っているという職場の方が、気持ち悪くて異常なのだ。

戦争前は、日本は国家と国民が一体であり、国民は天皇の赤子であったのだ。思想統一がなされ、国民の精神の襞まで天皇が入り込んでいた。
私の生まれ故郷でもある、福岡県南部地方は保守の地盤で、貧乏な稲作地帯であったから、戦前は男は軍隊、女は久留米のゴム工業地帯に女工として働きにいくというのが相場だった。
私が幼少の頃を過ごしたあばら屋の鴨居には、昭和天皇ヒロヒトと皇太后の「ご真影」が飾られ、ジッチャン・バッチャンは先祖の仏壇にお線香を上げたら、天皇と皇太后の「ご真影」を礼拝することを朝のお勤めとしていたぐらいだ。
ジッチャンの知り合いのSさんは、招集礼状で地獄のニューギニア戦線に狩り出され、玉砕したか、餓死したか、定かではない。
遺骨は未だ発見されず、ニューギニアのジャングルで獣たちに食い散らかされ、一片の白骨さえも残ってはいないだろう。
取り残された戦争孤児の幼い兄・妹をジッチャンやバッチャンは離れに住まわせ、握り飯なんぞを与えて、養育してやっていた。
ミカン箱であしらった小さな机の上に戦死した、お父さんの写真。そして、その横にごろんと転がっている、銃弾が貫通した鉄兜。国が幼い戦争孤児にしてやったことは、これだけだった。あなた達のお父さんは、お国の為に立派に死にました。これが証拠です、と言わんばかりに、誰がかぶっていたのかもしれない銃弾が貫通した鉄兜を遺品として差し出して。
ジッチャンの弟は、思いっきりぐれてしまった。
柳刃にサラシを巻いて、花街で暴れまくったらしい、挙げ句、脳梅毒にかかって狂い死にしたらしい。
ジッチャンやバッチャン、親父やお袋は、私が物心ついて、自民党や天皇の悪口を言うと、「お前、アカになったんか、主義者になったんか」とさんざん叱られた。
戦後、しばらくたっても筑後地方は貧乏であったから、農家の跡取り息子以外の男は、警察官や自衛隊に入っていった。
私が「公務執行妨害」で、福岡県警特別捜査班の手によって博多署に逮捕拘留された時、私の指紋を採ったのが、古賀という中学時代の仲良しだった。お互い、顔を見合わせてびっくり仰天したが、私は彼に対して何の恥じらいも感じてはいなかった、 
なぜなら、私は自分の労働者としての権利の確立を求めて、労働争議を戦っていたのだから。
 
思い返せば、グリーンコープ生協の前身である県内の生協での労働争議に於いて、生協労働者として逮捕投獄され「刑事罰」を受けた者は、唯一、私であった。
小泉首相は相も変わらず、靖国に参拝し、特攻隊員の死に涙しているのであるが、私は彼のその姿に言いしれぬ怒りを覚える。
 
言いたいことはこういうことだ、本来、共に生き共に働き楽しく暮らしていけるはず者同士を、啀み合わせ対決させ共食いさせていく、支配の構造がきっちりと出来上がっている。
私たちが必要としているのは、「不幸で悲惨な」暮らしを送っている人間の中に、純粋無垢な魂や、ゆずることの出来ない男と女の哀しみや、泥だらけの戦いを見いだし、真に人間を非人間化たらしめているのは、誰か、私たちのこの世界はどういう仕組みで形作られているのかー、視ようとすることだ、そういう視線を培っていくことなのだ、と。
 
一つの職場でふたつ、みっつの労働者グループが発生するのは、通常なことなのであるが、異常に立ち至ってしまったのは、推察するに、私は「地獄で仏」とばかりに、新たな受け手であるYM氏(グリーンコープ福岡北九州専務理事)にすがった「ちくご理事会・常勤理事」と、「棚からぼた餅」の思いで乗り出していったYM氏にあると考えている。
YM氏は、すでにどのような「責任」を感じてかしらないが、専務理事職を辞任されたが、そもそも、「合流受け入れの条件としてコスト削減・人件費圧縮」を持ち出したのが、甘すぎる。
大甘すぎる。グリーンコープ生協福岡・北九州の労働者が従順で温和しすぎるから、彼女が筑後の労働者は、労働条件のダウンを甘んじて受けるだろうと考えたのが本当に甘すぎる。
 
一度、労働争議を戦った労働組合は、彼女やグリーンコープ理事会の語る「生協の全県連帯」の夢物語に、労働者の悪夢を見いだしてしまうのである。
それに、県南労組の諸君は、「県北生協小郡支部」として発起して以来、筑後市羽犬塚での「県南生協」時代の「パート労働者角さん解雇撤回闘争」それに伴う、柳川食べ物共同会(後の共生クラブやながわ)との「職場防衛闘争」、そしてたがわ生協闘争支援と場数を踏んでいる。
かくいう私自身も、小郡生協時代から、彼等の戦いを全面的に支持支援し、角さん解雇撤回闘争の時には、職場防衛闘争の一環として、柳川柳下村塾の武田桂二郎氏のもとに抗議に赴いている。
あの時以来、県南労組とグリーンコープちくご理事会は根深い対立構造を抱えたまま続いているというのが現実なのだ。
だとするならば、YM氏は、グリーンコープちくご理事会・県南労組双方を納得説得しうる提案を持って、グリーンコープちくごの「合流」(この言葉も大甘すぎる、川の流れじゃあるまいし、組織と組織が合体するのは社会通念上、「吸収合併」という、これも悪しき生協言葉の一つである)に身を乗り出すべきであった。
それができないのなら、グリーンコープちくごとの吸収合併はやめた方がいい。
無責任な言い方に聞こえるかも知れないが、私はそれが、県南労組・グリーンコープちくご労組・理事会の身のためだと考えている。この三者が本当に自立する唯一の方法だと考えている。
砕けた話になるが、夫婦喧嘩に「善意の第三者」が介入してきたら、解けるべきわだかまりも益々捩れ、もうどうしようもなくなる。
YM氏は、グリーンコープちくごの「地獄への道を善意によって敷いて」(レーニン)しまったのである。
グリーンコープちくごへの関わりをほたってしまうことしか、問題の解決はあり得ないと考える。
 
一歩、間違えば、たがわ生協争議の再来が久留米の地で始まろうとしている。
あの戦いが、いかに不毛な戦いであったか(私は人間的には随分とこの戦いで学びとったが)、骨の髄まで身に染みて感じている人は、私の声に少しは耳を傾ける筈である。
このまま推移していけば、福岡県南部地域の生協労働者と理事会との労使問題にとどまらず、原理と原理のぶつかりあい、労働運動と生協運動との対立抗争、職場で働く現場の労働者を無視した、代理戦争が始まってしまうであろう。
世の中には、もめ事が好きな連中が多々いるのであって、それであろう事か飯を食ってる者、名を高めている者もいるのであって、ちょっと冷静に頭を冷やして考えれば解決する問題をねじ曲げていくことが好きな連中がいるのであって、私はそういう連中に大きな憤りを感じてしまう。
そういう連中は、理事会側にも労組側にも必ずいる。自分の「マッチ」で火を点けておいて、ボウボウと燃え上がったところで、今度は「ポンプ」を持ち出してきて、消火に勤しむ、いわゆる「マッチポンプ」といわれる人間達が存在する。
彼らの事態に対する解決方法は、ボス交渉による裏取引以外にはない。
 
私の手許にある、「福岡県南生協労組委員長・高山文昭」宛の、グリーンコープ生協労組九団体連名アピール(二〇〇四年一二月。以下、単にアピールという)は、冒頭のっけからこう切り出している。
 
グリーンコープ生協ちくご労組を初めとするグリーンコープ生協ちくごのパート・アルバイト・ワーカーズの各層の皆さんによる「今回のストライキ中止・解除の要請」の事実に表されているように、貴職の「ストライキ通告」は、実質的に無力化され、無化されていく他はない状況にあるのではないでしょうか。そうした状況での「貴職のストライキの決行は貴労組及び貴労組員の職場での孤立化が結果され、グリーンコープ生協ちくご及び貴労組と労組員に対するグリーンコープ生協ちくご組合員の信頼を喪失させていく結果しか生まない」ことを深く憂慮しています。
 
何としたことか、「グリーンコープ生協労働者の連帯を求める」生協連合グリーンコープ労働者連帯労働組合・グリーンコープ労組労働者連帯協議会以下の団体が、ストライキで戦っている、グリーンコープ労働者で組織している労働組合である高山君らの「福岡県南生協労組」諸君のストライキ中止・解除を要請し、「ストライキは実質的に無力化し無化されていく他はない」「ストライキは貴職の職場での孤立化、生協組合員からの信頼喪失しか結果しない」と、「憂慮している」と柔な表現まで盛り込んで、高山君らに「無条件全面降伏」を通告しているではないか。
 
私はこの冒頭の文書を読んだ時、開いた口がふさがらなかった。あっけにとられてしまった。
この文書を起案したのが、生協連合グリーンコープ労働者連帯労組委員長の朝田某君だったとしたら、彼は完全にぼけてしまったとしかいえない。
 
貴職の選択(ストライキ)はグリーンコープ労働者に「対立と分裂」をもちこみ、…
貴職は「力による要求の強制から対話とグリーンコープ労働者連帯に基づく、貴労組及び労組員の今日と明日を守る」労働組合の本来的な道に立ち返ることを心から願い、…
 
福岡県南労組のストライキは、「対立と分裂を持ち込み…、力による要求の強制」である、としているが、何故に、労働基本三権として認められている、労働者の最高の団体行動であるストライキを「対立と分裂を持ち込むことになる」と恐れているのか、何故に、ストライキが「力による要求の強制」なのか、…ストライキを恐怖するグリーンコープ労働者は、全くの腑抜けの軟弱な言葉ばかり達者な労働者とでも思っているのだろうか。
腑抜けで、軟弱クラゲで、〈連帯〉なぞという耳障りのいい言葉ばかりの三文代言屋は、このアピールを書いた本人ではないのか。
労働者であるならば、ストライキを決行している労働者の身に起こるであろう、弾圧と破壊活動をこそ心配しなければならないのだ。
ストライキは力による要求の「強制」=ゲバルトでは断じてない。
私は何度もストライキに参加し、労働争議の現場で暴力職制や御用組合・暴力ガードマン達のスト破り攻撃(彼等のなかには、それこそ角材やチェーン・空手のヌンチャクを振り回す者もいた)と対決してきたが、私を含めてスクラムを組むピケ隊員は徒手空拳・仲間達の隊列のみが唯一、ストライキの「武器」なのだーそれを労働者の「団結」という。
労働者の団結の最高形態であるストライキを、「力による強制」と思うのは、経営者・理事者側にたった人間だけだろう。
ストライキは、労働者の権利である。
 
「対話とグリーンコープ労働者連帯に基づく、労働組合の本来的な道」と、県南労組との対話を自ら閉ざしてしまった、しかも、県南労組のストライキまでも否定してしまった「グリーンコープ労働者連帯労組」がいう、「労働組合の本来的な道」とはなにか。
すなわち、地獄への道である。
再び、「地獄への道は、善意によって敷かれている」(レーニン)のである。
 
朝田某君とは、彼が当時ふくおか東部生協労組の副委員長をやっていた時からの旧知の間柄になるのであるが、共にたがわ生協争議を戦っていた頃に、団体交渉を要求して戦っていた私達に対して、たがわ理事会が大量にまいたビラと、このアピールのどこがどう違うというのだ。
あのとき、君と私とは、何が何でも私達を労働組合と認めようとしない、たがわ理事会に腹の底からの怒りを覚えた筈ではなかったか。理事会が撒いたビラには、こう書かれてあったではないか。
 
「団体交渉要求・ストライキと称して労働組合をかたる生協破壊者(=千代田ら)には、正義の鉄槌を加える」
 
あのビラと、このビラのどこかどう違うというのか。
あのときに君も感じた筈である腹の底からの怒りは、何だったのか。
このアピールの原文を書いたのが、前の生協連合グリーンコープ労働者連帯労組委員長仰木某氏だったら、まだ少しは話がわかる。
仰木氏は当時は北九州北部生協の専務理事だったのだから。やっぱり、仰木氏はたがわ争議をきっちりと総括し得ていないだけだから。
 
だが、少なくとも当時東部生協労組の副委員長だった朝田君だったら、少なくとも県南生協労組をグリーンコープ生協で働く労働者が組織した組合として論理的に承認した文書ぐらい書けたのではないか。
何も、労働組合の頭に「連帯」だの、「自立」だの「自立連帯」だの「地域合同」だの「生協連合」だの、玉虫色の冠詞をつけたからといって、その労働組合が本当に労働者の為の労働組合である、という保証は何もないのだ。
いやしくも、労働者の連帯を目指す労働組合であるならば、ストライキを起こしている労働組合のストライキ解除中止を要請したり、降伏を呼びかけたりする前に、やることは一杯あるではないか。
 
まずもって、ストライキを決行している労働組合の所に赴いて、彼等の要求やストライキの目的を聞いて、彼等と共に理事会との交渉に臨むというのが先決であろう。
そして、もしも彼等の要求やストライキに共感できなかったら、黙ってひきさがればいい。
口に煮え湯を注ぎ込まれても、ストライキをやっている労働組合にストライキの解除を要請するなど持っての他のことではないか。どこが、理事会と違うというのか。
それに、何という言い方をするのだろうかー「グリーンコープ生協組合員の信頼を喪失させていく結果かしか生まない」とは。
 
労働組合が信頼するのは、労働者仲間だけである。
労働者仲間の信頼より、生協組合員の信頼を優先するのであれば、生協組合員組合でも作ればいいではないか。生協組合員組合というのは、すなわち理事会である。連合労組を解散して、新しい連合理事会でも作ればいいじゃないか。
どこの世界に、顧客や利用者や消費者の信頼を獲得するために、ストライキを決行する労働組合があるというのか。
生協では、それがやれるというのであれば、組合員価格の五割引ストライキ、もしくは二四時間配達サービス実現ストライキでもやればいいではないか。
あるいは、今の理事会は組合員サービスがなっていないから、今の理事会を全部追放するストライキでもやればいいではないか。
 
組合員との信頼関係が壊れているが故に、高山君らは共に働く労働者の信頼を頼りにして、ストライキに打って出たのである。彼等に生協組合員を信頼せよ、と言うことは、どだい、生協組合員に労組員を信頼せよ、と言うに等しい不可能なことなのだ。
 
だから、私は朝田君はボケてしまった、としかいえないのだ。グリーンコープ生協労働者の連帯とは、労働組合の解体を意味しているとしか思えない。
グリーンコープ連合本部には、立身出世・格付けアップばかり願う労働者ばかりいるのだろうか。
だから、朝田君は、労働者への信頼を亡くし、生協組合員理事会に身をすり寄せてしまったのであろうか。
 
一方が(理事会側が)「ストライキは常軌を逸した」行いだ、と罵れば、他方は(労組側は)その言葉についての「謝罪」を要求するー、という言質の取り合いは、お互いの幼児性をあからさまにし、大人げなくもみっともないことである。
わけても、相手の言辞に「謝罪」を要求する、などとする言辞を発する者は、あらかじめ自らを神聖不可侵・絶対正義の聖家族と祭り上げ、他者に対する懲罰を措定している。
他人に罪を認めて謝罪せよ、と言い放つ彼は、他者を凌駕するほどに、自らの道義性・正当性・人間性を保ち得ているのであろうか、自分らに一切過ちはない、と言い切れるのであろうか。
私は、他人に罪を認めさせ謝らせ、罰を加えようとする類の人間を大嫌いである。
労働組合活動家の中には、死刑制度に反対する者もいるが、そういう彼等が犯罪人でもない一般人に向かって、平然と「罪を認めよ、そして、謝罪せよ」などというのは、本人の人間性の欠落としかいえない。
 
かって、たがわ生協争議を理事会側にたって解決した行岡良治氏は、そのような状況を「闘鶏の後ろ足での砂蹴り合い、あるいはお互いの鶏冠(トサカ)の突き合い」と称した。
行岡氏、そして柳下村塾・柳川食べ物共同会・共生クラブ柳川・県連顧問であった故武田桂二郎が「共生」の思想とともに概念化した、「(たがわ争議)経過の相対化」というキーワードこそが、1978年4月から1987年4月までの10年に亙るたがわ生協争議(泥沼争議)解決の最重要ポイントであったことを想起明言しておきたい。
 
「生協間競合の克服→生協間連帯(今の言葉で言えば合流)→全県連帯→グリーンコープ誕生結成」がキーワードであったのではない。
なんとなれば、「生協間連帯ー全県連帯ーグリーンコープ結成誕生」は、たがわ生協争議の解決が大前提条件で措定されていたからである。
 
そして、我々生協で働く労働者にとって、痛恨の極みを持って総括しなければならないのは、たがわ争議の解決が、当時の生協で働いていた労働者・労働組合の連帯の力で実現したことではないと言うことだ。
 
歴史の事実として言っておくが、「グリーンコープ生協労働者の連帯」を掲げる「生協連合グリーンコープ労働者連帯労働組合」という団体は当時は存在していなかったし、グリーンコープ生協誕生後、そこに結集していった当時の生協労働者達は、具体的なたがわ争議という現実に対しては、大部分のものが無関心・対岸の火事視であったのではないか。
県連理事会任せであったし、積極的に争議支援に入ったり、陰ながらでもいい、争議中の私たち・労組員を励ましたり、貧窮のどん底にあえいでいた私たちに一円でもいい、生活資金カンパを与えてくれた労働者は皆無であった。
生活を賭した争議労働者のストライキに対して、全く無関心であったし、争議の早期解決を求めて、単協理事会に団交要求したり、支援ストライキを行った単組はなかった。
当時、理事会に対する争議解決要請や支援カンパ、ストライキを行ったのは、ふくおか東部・九州大学・ふくおか生協・県南生協の各単組のみであった。
 
労働組合員でありながら、ストライキというものがどういうものであるか、自分の肉を切って相手の骨を切る、まさに文字通り血みどろの闘い(警察権力の民事介入争議介入もあいまって)であることを理解しようともしなかったし、ストライキを戦う根性などさらさらなかったのではないか。
ストライキ権確立までもいかなくても、自分達の労働条件改善のための団体交渉すら要求しなかった労働組合が大多数ではなかったのか。
職場の労働者の待遇を、その労働者個人の労働能力・資質・個性の問題に帰し、なにやら得体の知れない運動や組織・職制機構に委ねていたのではなかろうか。
私は、他のグリーンコープ生協労働者が、「ストライキを解除せよ」との大合唱を叫ぶ中で、ストライキを続ける高山君ら県南生協労組諸君の根性に感服する。
 
男の股間にぶら下がっている二つの玉は、「生殖」の為にだけ存在しているのではない。玉は大きいが、軟弱になりすぎたために、立ち上がることすらできなくなってしまった労働者が多い中で、なにはともあれ、ストライキに決起した県南の労働者諸君に敬意を払いたいと思う。ストライキの結果を引き受けるのは、高山君ら自身であって、他の誰でもない。
 
グリーンコープ生協誕生後、「生協連合グリーンコープ労働者連帯労組」は「グリーンコープ生協労働者の連帯」で「生協間の連帯」を標榜し、今回の久留米の事態については、「グリーンコープ労働者は、(ちくご生協理事会とグリーンコープ福岡北九州理事会との)合流の実現に向けた連帯の意志を表明する」としているが、ここでいう「連帯」は明らかに、グリーンコープ生協で働くすべての労働者の「連帯」を意味しているのではないだろう。
全くの外部の者が、こういう言辞を読み聞けば、これは公表されては憚れるGC福岡北九州理事会の本音を代弁した理事会外郭団体、あるいは理事会の御用組合の発言だと受け取られても仕方がない。
総評解体・連合体制翼賛化した日本の労働運動の中にあっても、ファナティステック(熱狂的)ならざる、ナショナリステック(国家主義的)ならざる、社会民族排外主義的ならざる、原理主義的ならざる、党派的ならざる、労働者・労働組合は微々たるものではあるが、いまだ健在なのである。
労働組合がその言説において、その行動において、体制化・翼賛化してしまえば、もはや私のような一塊の生協労働者にとって、グリーンコープで生き働く希望は断絶してしまうであろう。
 
現場で日々日常的に労働し、汗にまみれ、自分の健康・生活・肉体・精神そのものが疎外されていく労働者のみが、自己疎外を真摯に分析して、「最高の」知性を獲得しうるのだ。
理事会・雇用責任者は、労働者の存在を結局、経営上の採算・不採算・生産性・非生産性の数値としてしか視る他はなく、我々をいつでも誰とでも代替可能な労働力としてしか視ることができないのだ。

日々の労働の中で自分の肉体を苛み、自己の精神を絶えざる生協論理・企業論理の中で自己疎外・他者疎外(その極めつけは他者排除)せざるを得ない、労働者こそが、疎外され続けているが故に、抑圧と被抑圧とを自己の痩身の中に、一身に体得し、抑圧から解き放たれることを希望しうるのだ。
抑圧からの解放は、また同時に、抑圧する者の解放でもあらねばならない、という根源性・ラディカルさに到達しうるのは、労働者以外のなにものでもない。
 
自らの存在の解放を望む労働者が、「グリーンコープ生協ちくごの体内的な状況の中では、貴職(県南労組)のストライキ決行は実質的に無力化され、無化されていく他はない」「グリーンコープ生協ちくご及び貴労組と貴労組員の体内的な孤立化と生協組合員の信頼の喪失を招き、自らの墓穴を掘るに等しい結果のみを招く」「そうした暴挙に対して、労働者の生活と明日を守る立場から、私たちは強く反対し、抗議するものです」などと思考し、他の労働者・労働組合の動きを封じ込め、他の労働者に対抗していくことなどはあり得ないのだ。
解放を望み、自由でありたいと願う労働者は、決して他の労働者の言動を抑圧したり遮ったりはしない。
 
自分が自由で解放された者でありたいと願う者は、他人の自由も願い、他人が感じているであろう、その赤の他人の抑圧も解き放たればよい、と思うはずである。
それが、まさに文字通りの労働者の「連帯」ではないのか。
 
簡単に言えば、曲がりなりにも日本は自由世界の一員であるから、他の労働者が抑圧からの自由を求めるならば、それはそのまま認めればいい。自由にやらせればいいのである。
小泉首相が「テロリストとの戦いだ」と妙にいきり立ち、米軍の後方支援に自衛隊を派兵し、イラク戦争に加担などせずに、アメリカの残虐行為に拍手喝采を送るなどせずに、アメリカのかって放題にやらしとけばいいのである。イラクがそれで潰れれば、それはイラク人民の限界なのである。
先の戦争で鬼畜米英と罵り、南方や大陸では米英連合軍と激しく戦い、朝鮮中国東南アジアの無辜の民衆を焼き尽くし奪い尽く侵し尽くしていった日本が、敗戦しアメリカに占領された途端、本土防衛決戦・武装蜂起など放棄して従順な日本人になってしまったのと比較すれば、イラクの民衆の戦いは頑強であると言わざるを得ない。
 
推察するに、恐らくこのアピールを書いた人は自らの生存を賭けて、自らの労働組合の存続を賭けて、ストライキを提起、計画指導したことがそもそもなかったのであろう。
生協の中で疎外されていく自身の労働者魂を何者かに売り渡したか、もしくは、見失ってしまったのだろう。
 
なぜなら、ストライキは労働者の最高・最終的な武器であり、戦前から戦後にかけて、有名無名の労働者達が苦難の道を切り開き、荊棘冠(イバラの冠)を切り裂き、労働者の足枷・首枷を解き放って、漸く獲得した労働者の「権利」なのである。
それは、ある意味では「生活」「それを保障する賃金」よりも重い。人は、パンのみにて生きるにあらず。
 
「糞にまみれた銭金であっても、賃金に代わりはない」(太田薫元総評議長)とする総評民同指導の春闘型労働運動隆盛の時代にも、糞にまみれた銭金よりも、自己の労働者性の証しである、ストライキの権利にこだわった労働者・労働組合群は、確かに、いたのである。
総評の流れを引き継いだ社会党、民同の流れを継いだ民社党がどうなったか、国労・動労・全電通・自治労などなどがどうなったか。そこに帰属していた既成の労組員達がバブル崩壊後、どうなっていったか。文字通り賃金奴隷・サラ金奴隷・ギャンブル・金の亡者となり、銭アブクの中に埋まり沈んでいったか。
労働組合とは、労働組合費を徴収する団体としてしか認識しない労働者がいかに増えていったか。
金の切れ目が縁の切れ目、生活の困窮が、欲望の増大が、労働組合との縁の切れ目としてしか考えていない労働者がいかに増えていったか。
社会党は解党し、総評民同労働運動は解体し、共産党は日本民族主義政党と化し、自衛隊を容認し、湾岸戦争・アフガン戦争・イラク戦争と引き続く侵略戦争国家・アメリカの経済的衛星国家・軍事同盟国家となりさがり、あるいはその太鼓持ちとなり、人々はギャンブルや刹那的な快楽・享楽・大量消費に飼い慣らされ、「平和の歌」を涙を流しながらみんなで歌い、チェ・ゲバラやマルコムXのTシャツなんぞ小粋に着飾って、旨いものをグルメし、パチンコ玉の回転に自分の目玉をあわせてグルグルやっていれば、世界の平和は訪れる、とでも考えている。いや、ちっとも、自分の頭で考えたことがないのではないかと思う。
今の閉塞状況、自己の疎外された人間性を突破するのは、自己の労働者としての主体回復しかないと考える。
 
私は、今は故あって、未組織の労働者であり、もうずいぶんとくたばりかけているが、単独でもストライキで決起する覚悟はできている。ひとりでストライキやって、無様な奴だ、と揶揄罵られても、私の思いが砂を噛むような現実のなかで消え去っていっても、自己を労働者として生きた証しとしてストライキを決行する。
私はストライキの重みを骨身に染みて、知っている筈である。
だから、他の労働者が、あるいは労働組合がストライキで立ち上がった時、そのストライキがいかなる理由、いかなる目的であっても、ストライキの解除をその労働者に要請したり、ストライキの放棄を迫ったり、ストライキを妨害敵対したりすることは、殺されても断じてできない。
完全な右翼労働組合が行うストライキ以外の、いかなるストライキをも非難したり、解除を迫ったり、ストライキを破ったりする行為は、労働者としての自己に唾を吐きかけることに他ならない。
労働組合法で権利として保障されているストライキを否認することは、労働者が自らの首を自分で締め上げる自死行為に他ならない。
さもなくば、ストライキについて、さもしたり顔に語る当の本人がそもそもストライキによって労働者の権利・生活の防衛を戦ったことがなく、職場では末端の労働者として働いた経験がないことに起因するとしか考えられない。
迫害や抑圧(労働組合活動を理由とした懲戒解雇)、そして今で言うリストラ(不当解雇・整理解雇)が自分の身に降りかかってきた時、その人はどんな手段で迫害や抑圧に戦うのであろうか、わが労働組合にはそういう問題は起こらないとでも考えているのであろうか、それとも裏技(労働組合用語では、これを幹部の寝技という)を使って身に降りかかった火の粉だけは払うつもりであろうか。
他の労働者のストライキは認めなくて、自分のストライキは正義であり正当である、とは口が裂けても言えないから、彼は金輪際、ストライキはやれない筈である。
彼が思うほどに労働組合はそんなに都合よく成立してはいないし、個々の労働者は愚鈍でもない。
 
私がかって戦っていた時、ある争議の現場で会社側の暴力ガードマンとして雇われていた人物が、ピケットラインを張っていた私の側近くに寄り添ってきて、囁いた、「お前、このピケットは脆いな。すぐ破られるぞ。総資本と総労働の対決と言われた三井三池炭坑争議を知ってるか。久保山さんが虐殺された、あの争議よ。血で血を洗う戦いだったぞ。俺は、その栄えある三池炭鉱第一労組の組合員よ。今は、こうやって世過ぎ身過ぎのために○社のガードマンとして雇われ、お前達のストを破ろうとしているがのぉ。身はやつれても、世過ぎ身過ぎのためにガードマン警備会社に雇われていても、上の連中がお前らのストライキを破壊しろ、と命令しても、俺は栄えある三池炭鉱労働者だよ。心の中でいつもいつも、どんなに苦しいときも、上の者から叱咤されても、心の中で念仏のように念じているのさ。俺は、栄えある三池炭鉱労働者だ、と。だからさぁ(と小声になって)…、お前がどこの馬の骨かしらないが、こうやって、ピケットを張っているお前には、俺は、指一本も触れない。お前を応援はしねぇが、俺はお前の体には指一本も触れない。会社には内緒だぞ。ガードマンにやつれ果てているが、俺は、栄えある三池炭鉱労働者なんだ」と。
 
労働者とはこういう人々のことを言うのである。どんな風体をしていても、どんな稼業に従事していても、他人に譲り渡すことができない魂というものを持っている。
会社(生協)には会社の道、労働者(労働組合)には労働者の道がある。これが道理というものである。
 
「(労働者のストライキは)常軌を逸した」行いと表した人は、世界が非条理に満ち満ちていることを理解し得ていない。世界は「常軌を逸している」どころか非条理なのである。
労働者がストライキをやっても、やらなくても、労働者が忠犬ハチ公みたいに恭順であっても、野を歩き回る野良犬みたいなグレであっても、潰れる企業(生協)は潰れるべくして潰れていくのである。
 
それは、その生協に関わったすべての人の責任である。おのれ自身の責任である。他人(労働者あるいは理事者)に責任を転嫁していくのは、潔くないし、他の力を借りて延命していくというのも、非主体的ではある。
潰れるべくして潰れる生活協同組合は、潰れるべくして潰れていくのである。
 
労働者が生協を潰す、ということは絶対にあり得ない。不可能である。
かって、「生協運動の敵対者破壊者」と罵られ、一〇年も懸けてたがわ生協と戦ったが、生協を潰すことは叶わず、支援労働者から文字通り非道非条理にも「潰された」(=たがわ争議の歴史から抹殺粛正されたと言ってもいい)、かくいう私が断言する。
 
生活協同組合は、潰れるべくして潰れていくのである。
労働者が生協を潰す、ということは絶対にあり得ない。不可能である。生協は生き残るが、そこで働く労働者は様々な形で潰され、あるいは、生協に幻滅を抱いて去っていくというのが真実なのだ。
 
私はさきに書いたように、1978年、今から27年前にたがわ生協から潰され、10年の期間を経て職場復帰した瞬間、1988年、今度は「ひとりの労働者の首切りも排除も許さない」と唱和する、ある労働者グループから潰された。そして、また17年近くが経過してしまっている。
が、私は未だグリーンコープで働き生き続けている。
世界がいかに非条理な構造で成立しているのか、この歳になって、漸く理解できるようになったし、人間はなかなか潰れないものだ、というのも理解できるようになった。
 
我々・グリーンコープ生協労働者は、一体いつまで「生協(企業)あっての労働者」という呪縛に縛り続けられるのだろうか。
生協の存続を労働者の立場から理事会・理事者に問いただすのではなく、「生協あっての労働者」ということに意識的であれ、無意識的であれ、労働組合の根拠を置くならば、労働者は生協に属する者であることを、理事者にいつまでも証明することによってしか、辛うじて自らの生存の権利を与えられるという惨めな存在になってしまう。
ただでさえ、雇用不安に怯えながら、ノルマの達成に鞭打たれながら、戦々恐々としてしか生きることができない労働者が、何故に、自らの解放の組織である労働組合から疎外されたり排除されたりすることを甘受せねばならないのか。
福岡県南の事態について、現場のグリーンコープちくご労組・パートアルバイト・ワーカーズを始めとして、グリーンコープ生協で働く労働者の多くが、福岡県南労組諸君の言動に怒りの感情をあらわにしているが、それは今以上の差別分断状況を作り上げ、自分自身の精神をさいなみ病んでいくことにほかならない。
労働者の連帯など、ヘドロのなかに、沈み込んでしまう。
怒りは、我々一人一人の労働者自身の生き様の中に、向かわなければいけない。
仕事のきつさ・つらさ・生活の苦しみー、その怒りのはけ口が、何故に、顔も見たことも話をしたこともない県南の労働者にむかうのか、隣で働いている労働者に向かってしまうのか。
自分の存在の惨めさを、他者への憎悪・恨み・嫉妬へと変えるならば、もはやその人には他者への「暴力」のみしか残らない。さもなくば、自分で自分を潰していくほかはない。
仕事をちっともしない労働者がいてもいいでもないか。仕事をばりばりこなす労働者がいてもいいではないか。仕事ができない労働者がいてもいいではないか。調子のいい労働者がいてもいいではないか。
自分は生協のためではなく、生協組合員の為ではなく、自分自身の為に、家族の為に、働き生きているのだ、と考えれば、気持ちも安らぐし、隣の席の労働者の手助けでもしてみようかという余裕もうまれる。
多種多様な労働者が集まり、「一緒に」働いているのが職場なのであろう。なにも、「共生」という言葉を使う必要はない。我々は、小さい幼い頃から、障害をもった子、差別を受けた子、体の弱い子、さまざまな人々と「一緒に」遊び生きてきたのである。
労働者が自分の価値基準とするのは、生協や企業ではなくて、自分自身なのである。自分自身に恥じ入ることがないならばそれでいい。
 
我々は、「生協を大きくしたいから」とか「生協が潰れるのを阻止するため」とかの理由で入職してきたのではない。労働組合は日頃、生協を潰す目的で賃金闘争、労働条件改善闘争をやっている訳ではない。
そもそも、生協を潰すか否かを決定しうるのは労働者ではなく、理事者であり生協組合員の総意であり、彼等の責任である。
生協労働組合は、「生協」を守るためにあるのではなく、そこで働く労働者の雇用・生活・権利を守るためにあるのである。
グリーンコープくるめが莫大な赤字を抱えて倒産の危機に及んでしまったのは、理事会・常勤理事の責任である。赤字の責任を労働者になすりつけようとするのは、生協の悪癖であり、甘えの構造である。親が子供の小遣いをまきあげるのは恥ずかしいことだ。親が子供を道連れに心中するのは、親のエゴである。
私はたがわ生協理事会を始めとして、いくつかの理事会を視てきたが、いざとなったときの理事会や主婦理事の動転焦燥ぶりはみっともないものであった。そして、責任が自分達に及ぶと、必ず逃げる。あれだけ生協にこだわり、愛着を語っていた人が、生協の行く末なんか、私には全然関係ない、と言い切り平然としている。それで生きていくことができる。
私はまた一方で、中小零細企業の倒産争議の場面に立ち会ってきたが、悪質な経営者は、まず労働者の大量首切りを実行する。そして、会社に忠実な労働者だけ残し、ガードマンを雇い、職場再開・原職復帰を求める労働者を警察権力まで使って、弾圧する。
潔い経営者は、労働者に詫びの遺言を残して自殺する。
グリーンコープちくごの理事会メンバーは、自殺までする必要はさらさらない。
潔く、グリーンコープちくごを解散してしまえばいい。そして、グリーンコープ福岡・北九州に吸収合併されてしまうのだ。もちろん、グリーンコープくるめのパートアルバイト・ワーカーズ・職員はそっくりそのまま、グリーンコープ福岡・北九州に「再雇用」すればいい。
県南労組・グリーンコープくるめ労組との労働協約は、グリーンコープ福岡北九州理事会に継承され、団体交渉はグリーンコープ福岡・北九州でやればいい。
グリーンコープ福岡・北九州にいくつもの労組があってもいいじゃないか。
いくつもの労組がグリーンコープ福岡北九州にあれば、私達労働者にとっては、どの労働組合が本当にグリーンコープで働く労働者の為の組合であるかを選択する機会が増えて素晴らしいことだと思う。
勿論、労組と理事会の団体交渉は、グリーンコープ生協労働者に情報公開され、グリーンコープ生協労働者であれば参加発言が認められる。労働組合幹部と理事会との「裏取引」は、できなくなる。
生協内民主主義と労働組合民主主義は、ここに実現の端緒につくのではなかろうか。
労働組合同士でいざこざがあってもいい。結局、どの労働組合を選択するのかを決めるのは、個々人の自由なのだから。
 
最後に、「福岡県南労組」の執行委員長高山君らは、「グリーンコープ生協ちくご」をストライキやその他の戦術戦略をもって、ちくご生協を「潰す」などとはさらさら考えていない。
彼等は、自分達が今、首や思考する脳までどっぷりと浸かっている、「筑後」のぬるま湯から外に出て行きたくないだけである。
 
彼等に問われるのは、共にグリーンコープで働く労働者であり、たがわ生協労組結成以来、10年の長期争議を担い、7ヶ月に及ぶ投獄をも受けた、労組委員長であった私の襟首を締め上げ、例え支援者であっても部外の労働者と一体となり、たがわ生協労組からしめだしたという紛れもない事実である。
 
何の痛痒も恥じらいもなく、労働組合員であった私を、素っ裸にしてグリーンコープたがわに放り出し、置き去りにして田川を去り、「労働者の横断的団結と連帯、地域共闘の力で、闘争に勝利した」と歓喜舞い踊りつづけた夜叉が如き、おのれの相貌を見つめることだ。
私は、返す返すも、高山君らの驕慢・奢りが今度はグリーンコープちくごで共に働く労働者・パートタイマー・ワーカーズに向かい、彼等の職場を奪い去ることがないよう祈るばかりである。
高山君ら県南労組の諸君がかって私に手をかけたように、他の職場の労働組合員に手をかけ、その職場の労働組合から排除することが許されるならば、労働組合の旗は地に落ち、職場を守ることも、働く労働者の尊厳を築き上げることもできないであろう。
職場で働く労働者でつくる労働組合は、部外の労働者グループ、政治党派、「ひとりの労働者の首切りも排除も許さない」「地域共闘で戦う労働組合を建設しよう」などとする原理主義・党派的労働組合グループの草刈り場・兵站基地・資金源となり、荒涼たる荒野があらわれるだろう。
職場を守り抜き、職場を生きる糧として根付いていこうとする労働者は誰もいなくなるであろう。
 
そして、労働者のストライキは、何よりもまず自分を切り裂き、傷つける行いであるが故に、〈敵〉に対しては寛容になりうる行いであることも付け加えておきたい。
私は、この10数年、そうやって非条理な、この生協の世界を細々と生きてきた。
労働者の〈本当の敵〉が誰であるのか、諸君らが発見することを祈るばかりである。
諸君らの周りで起きている事柄は、弾圧でも何でもない。
食って、寝て、名を捨て、労働者として生き、誰にも看取られずに死んでいくことを思い至れば、どんな弾圧も恐れずに足らないものなのだ。
 
汝、わが胸の内を見つめよ。
汚れなき者のみ石をもて、汝自身を打て…、
汝自身と〈敵〉を打つ、ストライキを打て…。
 
2004年12月脱稿